近世ヨーロッパを動かした男とケンブリッジ

クロムウェルが学んだケンブリッジのカレッジと、彼にゆかりがある東イングランドの町をご紹介!数奇な運命をたどることとなった彼の死後は・・・


こんにちは!ロンドンナビです。みなさんは、ロンドン・国会議事堂前にたつ聖書を片手にした写真の銅像が誰だかわかりますか?彼の名前は、オリバー・クロムウェル。 このクロムウェルが中心となって展開された「清教徒革命」は、 近世イギリスの歴史を語る上ではずすことのできない大きな出来事の一つ。学生時代、世界史が得意ではなかった方もなんとなく記憶の片隅に残っているのではないでしょうか。クロムウェルは清教徒革命を指揮し、絶対王政を廃止、イギリス史上に初めての共和制をしいた人物。クロムウェルとケンブリッジ・・・もう、おわかりですね。そう、クロムウェルはケンブリッジ大学で学んでいたのです!今回は、クロムウェルの学んだケンブリッジ・シドニーサセックス・カレッジと、彼にゆかりがある東イングランドの町をご紹介いたします。さらに、数奇な運命をたどることとなった彼の死後とは・・・?近世ヨーロッパ史を動かした男の軌跡をたどっていきましょう!
クロムウェル肖像画

クロムウェル肖像画

●清教徒革命って?
1641年から1649年にかけて起きたイギリスの市民革命をさします。ピューリタン(清教徒)とはイギリス国教会に改革を唱えたプロテスタントのグループで、人々は聖書に従って禁欲的生活を行っていたといいます。

●オリバー・クロムウェルって?
(Oliver Cromwell 1599年~1658年)
イギリスの政治家で、清教徒革命の中心人物。1599年、東ケンブリッジにある町ハンティンドンで生まれました。ケンブリッジ・シドニーサセックス・カレッジで学び、そこでピューリタニズムの影響を受けたといいます。

クロムウェルがピューリタニズムの影響を受けたカレッジ

左手がセインズベリー右手がカレッジ

左手がセインズベリー右手がカレッジ

●シドニーサセックス・カレッジ(Sidney Sussex College) 
ケンブリッジのシティセンター中心部、人通りが多いストリートに正面ゲートを構えいるこのカレッジは1596年に設立。プロテスタントの神学校としてつくられたとも言われています。カレッジの真正面は「セインズベリー」という食品から日用雑貨までがお手ごろ価格でそろうスーパーマーケット。目と鼻の先にあるシドニーサセックスの学生たちが頻繁に利用しているのはいうまでもありません。さながら自分の家の冷蔵庫がわりに使っているようだとか。そのため、他のカレッジの学生からは「シドニーセインズベリー」とからかわれることもあるそう。
どのカレッジにもダイニング・ホールという食事を取るホールがあるのですが、シドニー・サセックス・カレッジのホールにはクロムウェルの肖像画があるそう(関係者以外は中に入れません)。この肖像は王室のメンバーがカレッジを訪問する際にはカーテンが掛けられるのだとか。 なんといってもクロムウェルは国王を処刑した人物。王室の方々がよく思うはずがありませんね。正面ゲートを右へ進むとチャペルコート。このチャペルにはクロムウェルに関わる驚くべき事実が掲げられています。その件は、最後にご紹介することとしましょう。
チャペルコート

チャペルコート

マスターズガーデン

マスターズガーデン

寮は成績順にいい部屋に入れるそう

寮は成績順にいい部屋に入れるそう

クロムウェルは1616年に入学、ピューリタニズムの影響を受けたとも言われています。また彼は、このカレッジで学びましたが卒業はしていません。在学中に彼の父が亡くなり、入学後わずか1年後に大学を去ったそう。

クロムウェル一家が過ごした教会の町 イーリー(ELY)

ケンブリッジから鉄道でわずか20分ほどのところにあるウナギ(EEL)が語源の町イーリー(ELY)は、イングランドで3番目に小さな町(アイルランドとウェールズを含めると6番目)。18世紀になるまでこのあたりは沼地で、たくさんのウナギがいたとか。大学を去り、実家があるハンティンドンという町へ戻ったクロムウェルは1620年に結婚、9人の子どもをもうけます。そして農業をするために隣町セント・アイヴスへ移りました。1628年に議員に当選すると、クロムウェルはイーリーに引っ越します。 彼は税務署員だったそうで、ここイーリーで働きながら政治家への道を歩みはじめることとなったようです。
日曜日はほとんどの店が閉まっていますが、イーリー大聖堂は無料で観覧することができます。 日曜日はほとんどの店が閉まっていますが、イーリー大聖堂は無料で観覧することができます。 日曜日はほとんどの店が閉まっていますが、イーリー大聖堂は無料で観覧することができます。

日曜日はほとんどの店が閉まっていますが、イーリー大聖堂は無料で観覧することができます。

長い身廊と壮麗な天井

長い身廊と壮麗な天井

 ●イーリー大聖堂
イーリー大聖堂は、イギリスにあるたくさんの大聖堂のなかでも、とくに大規模なものだといわれています。イギリス東部出身の王女エセルドレダにより、7世紀にここに修道院が開設されました。彼女は二度の政略結婚を強いられながらも厚い信仰により貞操を守り、ついには夫の承諾を得て修道女になったという女性とか。この修道院が現在のイーリー大聖堂となったそうです。1215年完成のガリレーポーチとよばれる正面玄関は、初期のイギリスゴシック建築様式。長い身廊の天井はビクトリア時代に描かれたものだそう。身廊をまっすぐすすむと、八角形の採光塔から、やわらかいひかりがさしこむ「八角形の間」へたどりつきます。「八角形の間」の奥は聖歌隊席。14世紀のものがそのまま使われています。そのさらに奥のスペースは、中世時代の重要な巡礼の場所となっていたそうです。
正面玄関

正面玄関

「八角形の間」の天井

「八角形の間」の天井

聖歌隊席と中世の巡礼の場所

聖歌隊席と中世の巡礼の場所

●オリバー・クロムウェルの家(Oliver Cromwell‘s House)
議員に当選したのち、一家はイーリーに越してきます。彼らは、1636年から1647年の間この家で暮らしていたといいます。「クロムウェルの家」として知られているこの家は何度か持ち主がいれかわりましたが、現在は一般公開され、観光案内所もかねています。クロムウェルとその家族のろう人形、肖像画、衣服や武器などが展示されていて、イーリーへ住居を移してからの彼の生涯を追うように館内を回ることができます。
教会の横にあるクロムウェルの家

教会の横にあるクロムウェルの家

お土産コーナー

お土産コーナー

中へ入ると左手にカウンターがあります。ここで入場料(4.5ポンド)を支払うと、オーディオガイドを手渡してくれます。オーディオガイドは英語のみ。日本語はありません。使い方は、カウンターの女性が親切丁寧に説明してくれるので、わからないことがあったら、遠慮なく聞きましょう。先ほどご紹介したとおり、ここは観光案内所にもなっています。簡単なイーリー中心部の地図のコピーもここでもらうことができます。町の見所やおいしいレストランなどを聞いてみるのもいいですね。また、小さいながらもお土産コーナーはいろいろと充実しています。もちろん、クロムウェルに関するグッズもありますよ!
クロムウェルとその夫人がお出迎え

クロムウェルとその夫人がお出迎え

一家がここで過ごしたとかいてあります

一家がここで過ごしたとかいてあります

キッチンにはイーリー名物のうなぎが!

キッチンにはイーリー名物のうなぎが!

清教徒の質素な生活ぶりがわかる

清教徒の質素な生活ぶりがわかる

臨終場面の部屋はちょっとドキドキ

臨終場面の部屋はちょっとドキドキ

クロムウェルの肖像画

クロムウェルの肖像画


イーリーでイギリスの伝統を味わう
小さい町ながらも、きらりと光る観光ポイントがたくさんある町イーリー。すでにご紹介した「イーリー大聖堂」そして「オリバー・クロムウェルの家」。さらに、おいしい紅茶がいただけるカフェとフィッシュ&チップスのお店までもがそろっています。
 ピーコックス・ティールーム(Peacocks Tearoom)
紅茶の本場イギリスでは英国紅茶協会により、毎年イギリスで一番おいしいティールームが選ばれます。「UK’S Top Tea Place 」は「最優秀賞」のようなもの。その栄誉を2007年に受賞、さらに「 THE AWARD OF EXCELLENCE(優秀賞) 」を2010年、2011年と連続受賞したのが、ウーズ川のそばにたたずんですいるこの小さなティールーム。70種類もの紅茶が揃い、メニュー表ではそれぞれに紅茶の説明がされています。「どれがいいかわからない」という方もフレンドリーなスタッフが親切丁寧に教えてくれます(もちろん英語で!)。ナビはこの日、スコーンとアールグレーティをいただきました。香ばしいくらいのサクサク感のあるスコーンが紅茶との相性抜群でしたよ!お天気の日はテラス席でおいしい紅茶をどうぞ!
受賞の証

受賞の証

カップとソーサーがばらばら。でもおしゃれ!?

カップとソーサーがばらばら。でもおしゃれ!?

週末にはなが~い列が

週末にはなが~い列が

ペトロブラザーズ・フィッシュ&チップス (Petrou Brothers fish and chips)
2000年以降、「フィッシュ&チップスショップ・オブ・ザ・イヤー」で幾度も賞をとっているのが、1968年に創業の「ぺトロブラザーズ」。2006年には東イングランドで優勝、そしてイギリス全国大会で優勝、さらに2008年には東イングランドで優勝、イギリス全国大会ではファイナリストに残りました。ここのフィッシュ&チップスは最高の鮮度かつ一流の材料を使い、素材の持つうまみ味を逃さない特別な技法でつくられているそう。 「フィッシュ&チップスはイギリス国宝である」とそのウェブサイトでいいきるオーナー。25年間の創業を続けている老舗としての自信がうかがえます。でもナビがお店を訪ねた日はなんとお休み!が~ん!!でもお店の長い歴史と輝く受賞歴が味を保証していると思いませんか?

クロムウェルのイングランド統治

イーリーに自宅をかまえていた1640年、クロムウェルはケンブリッジから議会議員に選出されます。それからまもなく、国王チャールズ1世側の王党派と議会派の溝は深まり、多くの内乱が勃発します。議会派クロムウェル率いる軍隊は次々と王党派を破り、彼は軍事指導者として頭角を現していきます。
執筆中のクロムウェル(クロムウェルの家)

執筆中のクロムウェル(クロムウェルの家)

1649年、国王チャールズ1世がついに処刑されます。当時、国王が処刑されるというのは、天地がひっくりかえるほどの大事件でした。同年5月には共和制宣言により「共和制イングランド」が誕生し、クロムウェルのイングランド統治が始まるのです。しかし、議会はもとより、イングランド国内も統治後の混乱が収まりませんでした。
1658年、クロムウェルが病気で死去します。彼は病の床で「本をとってくれないか」と頼みます。「どの本でしょう?」と聞くと「本といえば、聖書以外ないだろう?」と答えたとか。最後まで敬虔なプロテスタントであったクロムウェル。丁重な葬儀のあとウェストミンスター寺院に埋葬されました。

死後の数奇な運命~再びケンブリッジの学び舎へ   

1660年、クロムウェルの死から2年後にチャールズ2世が王政復古を宣言。クロムウェルが築き上げた共和制は幕を閉じ、イングランドはまた旧体制(絶対王政)に戻ってしまうのです。チャールズ2世はクロムウェルを国王を処刑した「犯罪者」とし、遺体を掘り起こし前国王(処刑されたチャールズ1世)の命日に絞首台に吊るしたあと、斬首しました。クロムウェルの首は、ウェストミンスター寺院の屋根に、実に25年もの間吊るされていたと記録されています。ある日、嵐で落下したその首を兵士の一人が持ち去ってしまい、以後行方不明となります。まもなく骨董品として出品された後、転々と多くの人の手を渡り歩いたそうです。
1960年、クロムウェルの首は最後の持ち主の家族により、彼が学んだシドニー・サセックス・カレッジに提供されました。実証検分の末、まちがいなく彼のものと判明し、カレッジの礼拝堂近くに安置されました。
シドニーサセックスカレッジのチャペル入口

シドニーサセックスカレッジのチャペル入口

チャペル内

チャペル内

礼拝堂のプレート。再び掘り起こされる可能性も考えているのか、プレートには「このあたりに葬られた」と刻まれています。この礼拝堂では体を捜すように彼の霊がさまようのだとか(ウェストミンスター寺院では、頭を探すように彼の霊がさまようといわれています)。

独裁者か英雄か

いかがでしたか?近世イングランドの歴史をなぞりながら、オリバー・クロムウェルの足跡をたどってみました。王室へのの関心が高いイングランド。かつて国王を処刑したクロムウェルがいまだ悪人扱いされるのは当然のことかもしれません。クロムウェルは侵略を行い、罪のない人々を殺したという記録も残っています。しかし彼は一方で、国土と国民は王の私有財産であるといった絶対王政のもとで苦しんでいた多くの人々を救いました。クロムウェルは独裁者か、英雄か… 彼の死後、数百年たった今でもその評価は定まっていません。みなさんの意見はどちらでしょうか?以上、ロンドンナビでした!

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2011-05-02

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